このコラムは池上のまちで参考にしたいと思った各地で活動している方から寄稿していただいたものです。
紫陽花の小躍り
東京に来てから3回目の引越しを終え、もう2ヶ月が経とうとしている。マンションの入り口には紫陽花がわんさか咲いていて、いつも帰りを出迎えてくれるような気になる。内覧に来た時は春も近いというのに季節外れの大雪で、もちろんここに紫陽花が咲くなんて思いもしなかった。いまはひょっこりひと房、フェンスを越えて顔を覗かせている。もう満開だ。まだちいさいのも居る。
紫陽花の記憶があるのは東京に来てからだと思う。
地元仙台に居た頃は、車か地下鉄で移動するのが基本だった。けれど東京に暮らしてからは、どこへ行くにも一駅一駅が近いので、大抵歩きか自転車で出かける。上京して初めて一人暮らしをした西荻窪は、一軒家が建ち並び、広い庭を持つ家も多かった。東京に来てからのほうがずっと季節の花を見かけることが多いよ、と当時口々に言っていた気がする。塀の隙間から頭をだしていたり、家と家の隙間に背の順に並んでいたり、そこかしこにお気に入りの紫陽花スポットを見つけた。
特に西荻窪と荻窪の間、善福寺川沿いにあるアパートの入り口に咲く紫陽花には、なぜか猛烈に惹かれ、自転車を置いて近くの階段に腰かけ、よくそこでぼーっとして過ごした。紫陽花盗みたいなあ、なんて良からぬ感情も湧いてきたので、そのことをZINEに書いたこともあった。
電車で吉祥寺へ行き、井の頭線で渋谷へ行く時に車窓からいつまでも見え続ける紫陽花も、豪華というよりは素朴で、親しみ深く寄り添って景色が続いていく様が好きで、日々色付いていくのを楽しみにしていたし、わたしにとっていつまでも大切な景色のひとつだ。
その次に越したのは王子で、駅前にある飛鳥山公園には、紫陽花がもう溢れんばかりに咲いていた。けれど最初の年は毎日仕事ばかりしていて休みもなく、加えて地下鉄での移動、家へは寝に帰るだけのような暮らしで、あまり紫陽花の景色を見つけることは出来なかった。すこしだけ余裕も出来て、便りのなかに水性ペンで描かれた紫陽花を見つけ、紫陽花たちのお祭りに参加して小躍りをするのは、いつも職場の近くや出先でだった。王子での紫陽花の景色を知らぬまま、やがて恋人の住む下北沢へ帰ることが増え、満開の桜の横でだんだんと大きくなり、花を咲かせるための準備をしている葉を見つけた頃には、駒沢へ移り住むことが決まった。あの大きな葉の紫陽花は、一体どんな色や形の花を咲かせたのだろうか。
駒沢から三軒茶屋までの弦巻通りは、紫陽花が手招くように続いていく。ここも紫陽花だったのか、こんな風に咲くの?! と、ここでもお気に入りの紫陽花スポットも見つける毎日だ。そして紫陽花の後ろには家のタイルや、屋根、ポストや窓がある。いつも紫陽花を見る時には、その周りの景色もセットで見ていることに気がつく。壁のタイルも一緒になって、紫陽花の花を咲かせている。紫陽花も周りの景色を見せてくれている。ここから次の通りにある紫陽花まで、ここまでの道とここから先の道、ぜんぶ地続きで見ている。紫陽花を見つけ、お気に入りの場所を見つけることで、どんどんその街のことを好きになっていく気がする。
王子でも、地元仙台でも紫陽花は咲いていたはずなのに、私はずっと見逃してしまっていた。私はそれぞれの街をまだまだ知らないまま出てしまったことをとても悔やんでいる。今年もここでまた会ったねと紫陽花を見つめ、来年はどうかなと思いを馳せる暮らしがいい。見逃してしまうこともあるけれど、また来年ねと言って景色を見送りたい。まだまだこれからどうなるかわからないけれど、紫陽花の咲く道を通って、街を見つめていきたい。王子も仙台も、だれかの暮らす街でもきっと、今日も紫陽花は小躍りをしている。