このコラムは池上のまちで参考にしたいと思った各地で活動している方から寄稿していただいたものです。
副産物産店がとても気になっていた山田毅さん。
〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉
俵万智さんの歌集『サラダ記念日』が発売されたのは1987年のことである。
実は40歳を目前にしてふと思ったことだが、実はサラダのことがよくわかっていない。家では作らないし、食べることがほとんどないのだ。だからわかっていないのである。ちょっと不思議な話かもしれない。サラダはみなさんがよくご存知のそのサラダのことで間違いはない。あんなものは野菜にドレッシングをかければ大体サラダになるとも言えるのだが、あまりお酢が好きでないということもあり、ドレッシングとの距離も感じつつ、何かと避けてきているうちに、実際のところ、サラダというものを知らないできてしまったのだ。
小学校のころ、クラスのみんなが自宅から好きなドレッシングを持ってきて、サラダを食べるという日があった。あれはなんのイベントだったか忘れてしまったが、野菜嫌いな子供だったし、ドレッシングもまた嫌いで、とにかく大嫌いなイベントであった。当時はまだ今みたいにいろんなドレッシングがあるわけじゃなくて、購入できるいくつかのドレッシング、和風とかフレンチとかがあるだけな時代で、みんなが持ってきているのはフレンチドレッシングとかそういうちょっと小洒落たドレッシングで、僕は和風ドレッシングが好きで食べれたんだけど、なぜかそれを笑われて、すごく恥ずかしかった思い出がある。それ以後サラダとの距離はさらに遠くなったように思う。
この自粛期間に、そういう思い出をふっと思い出すことがあり、サラダを作ってみようと思い立ったのだ。しかし、いざサラダを作ろうと思った時に、例えば葉物の野菜は下調理なしに適度なサイズに切り分けて入れたらいいのか?とかとか、そんなことが全くもってわからないのである。
基本的に僕は火を通す料理を好む。生で食べるのは刺身とか卵とかそういうもので、野菜を生で食べるというのは好きではないのだ。これはバーベキューにおける生焼けの野菜問題からきているのだが、それはまた別の話として、だからというか、よく火を通すことを心がけている。茹でる。または炒めるというのも良い。そういうわけで生の野菜を自分でどうこうするということはないのである。
しかし食べないかというとそうでもない。お店に行けば、大根サラダ、コブサラダ、チョレギサラダなどなど各種サラダは食べてきた。だがしかしサラダの構造に注目したことは今までなかったように思う。だからいざ自分の家で食べよう、作ろうと思うと、それを再構築することができなかった。
ともかくいい素材のものを食べよう。そこからサラダが始まる。そう思って、長崎の友人がやっている地物野菜を取り寄せた。海のもの山のものが満載でワカメとか、土地の野菜が混載されているものだ。それにネットで調べたドレッシングを作ってみた。お酢と色々混ぜてオリジナルのドレッシングというものである。
不格好だが、なんとかサラダのようなものができた。味はどうかといえば素材はバッチリだが、ドレッシングが油っぽさと酸っぱさがちょっと変な感じで、これはサラダだが、サラダではない感じが残念な結果となった。これはこれで善戦だったとしよう。初戦で勝てるほどサラダの道は甘くないということか。大人になればそのくらいのことはわかる。しかしサラダの道を歩み始めたことに関しては自分で自分を褒めてあげようと思ったのである。
まだ誰に食べさせるわけでもないが、いつかだれかが「美味しいね」って言ってくれるそんな日を夢見て、サラダの道を歩み始めたのかもしれない。そんなことを思った。そしていつかくるサラダ記念日に心躍らせるのであった。まだ見ぬ明日が、楽しみでしょうがない。